「坂口安吾は何派の作家なの?」
文学史や文豪について調べていると、気になることがありますよね。
結論からいうと、坂口安吾は、太宰治や織田作之助らとともに「無頼派」と呼ばれた作家です。
ただし、無頼派という名前の文学グループを、三人で結成したわけではありません。
戦後、それまでの権威や道徳、文学のあり方に疑問を投げかけた一群の作家たちに対して使われた呼び名なんです。
では、その中で坂口安吾はどんな作家だったのでしょうか。
この記事では、「坂口安吾は何派?」という疑問から、無頼派としての特徴、『堕落論』に見える安吾の考え方、太宰治・織田作之助との違いや関係まで、やさしく整理します。
坂口安吾は何派?答えは「無頼派」

坂口安吾は、戦後文学の無頼派(ぶらいは)を代表する作家のひとりとして知られています。
太宰治、織田作之助、石川淳、檀一雄なども、無頼派として名前を挙げられる作家たちです。
ただし、「派」という言葉がついていても、同人誌や結社をつくって活動した正式な文学グループではありません。
戦後の混乱のなかで、既成の権威や道徳、従来の文学観へ反発する姿勢を示した作家たちに対して、後から用いられた呼び名です。
「新戯作派」と呼ばれることもあります。
ですから、
坂口安吾=無頼派
と覚えて大丈夫ですが、
無頼派=全員が同じ文学を書いた
というわけではありません。
そこが大切なところなんですよね。
無頼派そのものの意味や、ほかにどんな作家が含まれるのかはこちらで詳しくまとめています。
▶ 無頼派とは?太宰治・坂口安吾・織田作之助の作家メンバーをわかりやすく解説
坂口安吾が無頼派と呼ばれた理由
坂口安吾が無頼派として語られる背景には、戦後に発表した評論や小説があります。
とくに有名なのが、1946年に発表された『堕落論』です。
戦争が終わり、それまで絶対のように信じられてきた価値観が大きく崩れた時代。
安吾は、古い道徳や建前へ戻るのではなく、そこから一度離れて、人間そのものを見つめようとしました。
『堕落論』で既成の価値観を問い直した
『堕落論』という題名だけを見ると、
「堕落してもいい、と勧めている文章なのかな」
と思うかもしれません。
けれど、そんなに単純な文章ではありません。
安吾が見つめたのは、理想化された人間ではなく、弱さや欲望を持つ現実の人間です。
きれいな建前を取り払ったあと、人間はどう生きるのか。
そんな問いを投げかけます。
「正しいとされているものを、そのまま信じるのではなく、自分でもう一度考えてみる」
という姿勢が、安吾らしさのひとつです。
『堕落論』についてもう少し丁寧に読みたい方はこちらへ。
▶ 坂口安吾『堕落論』をわかりやすく|衝撃的あらすじとは?生きる意味を問い直す
人間をきれいな理想だけで描かなかった
安吾の作品には、人間の欲望や孤独、矛盾がそのまま出てきます。
それは『堕落論』だけではありません。
『白痴』では戦争末期の東京を背景に人間の生や孤独を描き、『桜の森の満開の下』では、美しさと恐ろしさが入り混じる世界を描いています。
人間には、美しいところだけではなく、見たくない部分もある。
その両方を見ようとするところに、安吾の文学のおもしろさがあります。
ひとつのジャンルに収まらなかった
坂口安吾のもうひとつの特徴は、作品の幅広さです。
評論だけでなく、
- 純文学
- 幻想小説
- 探偵小説
- 歴史小説
- 随筆
など、さまざまなジャンルを書きました。
『不連続殺人事件』のような本格ミステリーもあれば、『二流の人』のような歴史小説もあります。
「無頼派の思想家」というイメージだけでは捉えきれない作家なんですよね。
坂口安吾の作品を年代順に見てみたい方はこちらでまとめています。
▶ 坂口安吾の作品年表と代表作まとめ|初心者におすすめの本も紹介
坂口安吾・太宰治・織田作之助は何が違う?

坂口安吾、太宰治、織田作之助。
三人とも無頼派として並べられることが多いですが、作品の雰囲気はかなり違います。
ざっくり整理すると、こんなふうに見ることができます。
| 作家 | 作品に見えやすいもの | 読み味 |
| 坂口安吾 | 道徳・価値観・人間の本性 | 論理的で、ときに挑発的 |
| 太宰治 | 自意識・孤独・他者との距離 | 告白的で切実 |
| 織田作之助 | 大阪・庶民・男女・生活 | 可笑しさと哀感、人間くささ |
もちろん、すべての作品をこの表だけで説明できるわけではありません。
ただ、三人を初めて読み比べるときの入口としてはわかりやすいと思います。
太宰治との違い
太宰治の作品では、自意識や孤独、他人とうまく関われない苦しさが強く感じられます。
『人間失格』の大庭葉蔵を思い浮かべると、わかりやすいかもしれません。
一方の安吾は、自分自身の内側だけに沈んでいくというより、
「そもそも人間とは何なのか」
「社会が正しいとしているものは本当に正しいのか」
と、もう少し外側から問いを投げかけるところがあります。
同じ人間の弱さを扱っていても、その見つめ方が違うんですね。
織田作之助との違い
織田作之助は、大阪の庶民や男女の暮らしを描きました。
『夫婦善哉』を読むと、頼りない人、失敗する人、それでも生きていく人たちが登場します。
織田作が、生活の中の人間を可笑しさや哀しさとともに描いたのに対して、安吾はそこからさらに、
「なぜ人間はそうなのか」
と考えていくようなところがあります。
生活の中から人を見る織田作。
価値観そのものを問い直す安吾。
並べて読むと、その違いがよく見えてきます。
坂口安吾と太宰治・織田作之助には交流があった
三人は、後世になって同じ「無頼派」という箱へ入れられただけではありません。
実際に交流がありました。
織田作之助の『可能性の文学』には、銀座の酒場「ルパン」で太宰治・坂口安吾と一緒に過ごしたことが記されています。
そして織田作が1947年に亡くなると、安吾はその死を受けて追悼文も書いています。
文学史の名前だけを見ると、少し遠く感じる三人。
でも実際には、同じ時代に作品を書き、酒場で言葉を交わしていた人たちなんですよね。
三人の交流や、銀座「ルパン」でのエピソードを詳しく知りたい方はこちらへ。
▶ 織田作之助と無頼派とは?太宰治・坂口安吾との関係をわかりやすく解説
坂口安吾を読むなら、まずどの作品?
「無頼派としての安吾が気になってきたけれど、何を読めばいい?」
という方には、まずこの3作品から選ぶのがおすすめです。
思想から知りたいなら『堕落論』
無頼派としての安吾の考え方に直接触れたいなら、まず『堕落論』。
比較的短い評論なので、入口にも向いています。
小説から入りたいなら『桜の森の満開の下』
文学作品として安吾を味わいたいなら、『桜の森の満開の下』。
美しい桜と恐ろしさが同居する、不思議な一篇です。
短めの作品なので、長編から入るのが少し不安な方にも向いています。
ミステリー好きなら『不連続殺人事件』
普段ミステリーを読む方なら、『不連続殺人事件』から入る方法もあります。
坂口安吾が本格探偵小説を書いていたという意外さも楽しめます。
「文豪だからこの作品を読まなくては」と考えなくてもいいんですよね。
自分が好きなジャンルから入ってみると、安吾という作家がぐっと近くなるかもしれません。
そして、『堕落論』をきっかけに、
「安吾がほかにどんなことを考えていたのか、もう少し読んでみたい」
と思った方には、岩波文庫の『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』も向いています。
『堕落論』『続堕落論』だけでなく、『日本文化私観』『文学のふるさと』『恋愛論』『悪妻論』など、安吾の考え方をさまざまな角度から読める一冊です。
『堕落論』のその先へ。坂口安吾の評論や随筆を、もう少しまとめて読んでみたい方へ。
まとめ|坂口安吾は無頼派。でも、それだけでは語れない
坂口安吾は、太宰治や織田作之助らとともに「無頼派」と呼ばれた作家です。
ただし、無頼派という正式なグループに所属していたわけではありません。
戦後、既成の権威や道徳を疑い、人間の現実を見つめた作家たちに与えられた呼び名です。
その中でも安吾は、『堕落論』に象徴されるように、
「当たり前だと思っている価値観を、もう一度問い直してみる」
という姿勢が強く感じられる作家です。
太宰治とは違う。
織田作之助とも違う。
だからこそ、三人を同じ「無頼派」として読み比べると、おもしろいんですよね。
まずは『堕落論』でも、『桜の森の満開の下』でも、『不連続殺人事件』でも。
今の自分が少し気になる作品から、安吾の世界へ入ってみてください。
そこから「こんな安吾もいたんだ」と、次の一冊へつながっていくかもしれません。

