吉川英治ってどんな人?学歴や二人の妻と子供とともに文学活動の歩みと略年表もについてご紹介します。
吉川英治といえば『三国志』で有名です。
吉川英治の名前を耳にしたことがある人は多いかもしれませんが、その生涯についてはあまり知られていないのではないでしょうか。文豪と称されながらも、彼の人生は決して平坦ではありませんでした。
二人の妻や子供たちとの関係、また波乱の中で生み出された作品の数々には、吉川英治ならではの人間味がにじみ出ています。
今回は、略年表とともに彼の人生の歩みをたどってみましょう。
吉川英治ってどんな人?
吉川英治は、歴史小説で広く知られる作家です。
独学で学び新聞記者から作家になり、『宮本武蔵』や『三国志』といった名作を生み出したのです。
家庭では波乱もありましたが、作品は多くの人に愛され続け、晩年には文化勲章も受章。
1962年に70歳でその生涯を閉じましたが、今もたくさんのファンがいます。
吉川英治の生い立ちと学歴
吉川英治は1892年、横浜で生まれましたが、裕福な家庭ではなく、幼少期からたくさんの困難に直面して育ったそうです。
学歴は小学校を中退。
11歳で奉公に出て家族を支えながらも『三国志』に夢中になりました。
こうした経験が吉川英治の作品に深い人間関係や愛情への考察をもたらしており、名作『宮本武蔵』や『三国志』を生むきっかけとなったのです。
座右の銘があったよね?
「我以外皆我師」
(われ いがい みな しなり)だよ!
この言葉は「自分以外のすべての人や物が、自分に何かを教えてくれる先生である」という意味で、周りの人や出来事から学ぶことの大切さを示しています。
吉川英治にとって、学びは日常の中にあふれていて、それを受け入れることで自分を高めていけるという信念があったのでしょうね。
吉川英治の家族について
生涯を家族とともに過ごし、そのなかでたくさんの物語が生まれました。
二人の妻と、五人の子供たちについて紹介します。
妻との関係
吉川英治の人生には、二人の妻との関係が深く影響していました。
彼が最初の妻、赤沢やすと結婚したのは1923年のこと。しかし、彼の成功が家庭に緊張をもたらし、残念ながら1937年には離婚してしまいます。
その後、二番目の妻・池戸文子と再婚し、彼女は吉川の創作活動をしっかりと支えてくれました。
妻・文子との結婚を経て、吉川は『宮本武蔵』や『新・平家物語』といった名作を次々と生み出し、家庭と文学活動を両立させながら成長を続けたのです。
彼の人生は、愛と創作の交錯が見えるドラマそのものでした。
子供たち
吉川英治には前妻・やすとの結婚で養女を、妻・文子との間に四人の子供がいました。
長男の英明さん、次男の英穂さん、長女の曙美さん、二女の香屋子さん、そして養女の園子さんです。
でも、残念ながら園子さんは東京大空襲で亡くなってしまったんです。
長男の英明さんは、父の影響を受けて文化や文学活動に関わり、吉川英治記念館の設立にも力を入れました。
また、次男の英穂さんも父の意志を受け継いで、文化や文学活動に取り組んでいます。
さらに、吉川英治文化賞も設立され、父の精神を引き継いで文化や文学活動、教育に貢献する活動を支援しています。
吉川英治の文学活動の歩みと略年表
吉川英治の人生の大きな節目を略年表形式で簡潔に紹介します。
1892年(0歳) 8月11日神奈川県久良岐郡中村根岸(現・横浜市)に生まれる。
本名:吉川英次
1903年(11歳)小学校を中退。以降各種の職を転々とする。
1910年(18歳)年の暮れに上京、蒔絵師の徒弟となる。
1918年(26歳)父、没
1921年(29歳)母、没。東京毎夕新聞社に入社
1923年(31歳)最初の妻・赤沢やすと結婚
1925年(33歳)『剣難女難』を連載。初めて“吉川英治”というペンネームを使う。
1926年(34歳)「大阪毎日新聞」に『鳴門秘帖』を連載
1927年(35歳)家庭内での確執の兆し。11月園子を養子にする。
吉川英治は巨額の印税を得たものの、妻・やすは生活の変化に順応できず不安定な状態になりました。そのため、吉川英治は新居の購入や養女の迎え入れで家庭の安定を図り、その後、『万花地獄』『花ぐるま』の伝奇小説、『檜山兄弟』『松のや露八』の維新ものの執筆を続けています。
1935年(43歳)『親鸞』を発表、『宮本武蔵』の連載開始(朝日新聞小説史上かつてない人気となった)
1937年(45歳)やすとの離婚成立・二番目の妻・池戸文子(18歳)と再婚
1938年(46歳)長男・英明が生まれる
1940年(48歳)次男・英穂が生まれる
1942年(50歳)長女・曙美が生まれる
1945年(53歳)3月、東京大空襲で養女・園子(16歳)没
1950年(58歳)『新・平家物語』の連載が「週刊朝日」に始まる。次女・香屋子誕生。
1953年(61歳)『新・平家物語』で菊池寛賞受賞
1958年(66歳)『私本太平記』を「毎日新聞」に連載
1960年(68歳)文化勲章受章
1961年(69歳)肺ガン手術
1962年(70歳)『私本太平記』毎日芸術賞大賞受賞。この賞金をもとに吉川英治賞が設けられる。
同年9月7日午前9時9分没(多磨霊園に眠る)
関連:>>吉川英治が受賞した第1回菊池寛賞は、文学や報道など多様な分野で顕著な功績を残した人々を称え、日本の文化に貢献する重要な存在として広く尊敬されています。
まとめ
吉川英治ってどんな人?学歴や二人の妻と子供とともに文学活動の歩みと略年表もについて、以下の4つの事柄をご紹介しました。
- 吉川英治ってどんな人?
- 吉川英治の生い立ちと学歴
- 吉川英治の家族について
- 吉川英治の文学活動の歩みと略年表
吉川英治は、日本の歴史小説界で大きな影響を与えた作家です。
『宮本武蔵』や『三国志』では、登場人物の心の動きを丁寧に描きながら、人間の成長や苦悩を探求しているので、作品には温かみがあり、読者に希望や勇気をもたらしてくれますよね。
また、吉川英治の文学は日本文化への理解を深めるうえでも欠かせない存在なんです。